西武山口線 1972

鉄道100年を記念して、突如として西武の「おとぎ電車」線に現れたコッペル2号機。
新潟県のナローライン頚城鉄道で引退後も大切に保存されていた機関車が
国鉄長野工場で修理され、狭山にやってきた。
大井川の蒸機本線運転に先立つこと4年、営業路線での復活蒸機運転の先駆けとなった。
撮影日 特記以外1972年11月20日


堂々たるオーレンシュタイン・コッペル社の銘板。
残念ながらレプリカらしい。


通称「おとぎ電車」だがれっきとした地方鉄道「西武山口線」
当初はコッペルも従来から使われていた客車を引いていた。
1972年6月19日


西武遊園地前を発車する2号機。
頚城鉄道が走った新潟県にちなんで「謙信号」の愛称がつけられた。
1972年6月19日


駅は両端の西武遊園地前とユネスコ村の2つだけだったが、
途中に山口、中峰の2つの信号所があり、タブレット交換が行われていた。
1972年6月19日


腕木式信号機もあるが、ご覧のようにかなり背が低い。
1972年6月19日


こちらが従来から山口線で使われてきた蓄電池機関車B10形 B14とB15
1972年6月19日


山口検車区にて




運転開始からしばらくして、井笠鉄道から蒸機に似合う木製客車がやってきた。




一昔前のケーベン列車が見事に再現された。




ユネスコ村駅で発車を待つ。




沿線はほぼ全線道路が平行して開けた場所がほとんどなかった。
唯一編成がきれいに収められるこの場所はちょっとしたお立ち台になっていた。

山口線での蒸機の運転は12月から3月が休みだった。
その後井笠のコッペルBタンク1号も加わり、休日は2列車の蒸機運転も行われた。
数年後2両のコッペルは台湾から来た蒸機に跡を譲りそれぞれの故郷に帰っていった。
頚城の2号機は頚城交通本社で保存されていたが、
2005年6月には個人で保管されていたホジ3などの車輌たちとともに公開された。
今後も町の歴史を語るものとして末永く大切に保存されてゆくだろう。


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