北への旅
1978・8 鈍行日本縦断
10日目

  8月22日 
秋田  7:43 1823レ
東能代 9:04
     9:22 1731D
弘前 14:05
    17:56 639レ
青森 19:41
    19:25 27便
函館 23:15
    23:51 43レ

この日は乗車中のスナップが一枚もない。いいかげん飽きていたのだろうか?
せっかくの五能線全線乗車なのにもったいないことをしたものだ。



写真を撮らなかった五能線だが強烈な思い出がある。
鯵ヶ沢でしばらく止まったとき、駅のトイレに入って小用を足そうとしたとき
そこでお婆さんが立小便していたのだった。
男性とは逆向きに立ってて、最初は何しているのか分からなかった。

海沿いの風景よりもこのトイレでの印象が強すぎたようだ。




本来のルートでは川部で乗り換えだが弘前まで乗り越し弘南鉄道を撮りに行く。
岩木山をバックに田んぼの中を走る姿を狙ったが
1時間ほど粘ったが電車が来るときに雲が出て影ってしまった。


「来ましたついに青森に、いざ行かんホッカイドー」
スタンプノートの青森駅のページに書いてあった当時のメモ。

 
松前丸は1974年冬、初めて渡道した時に乗った船。
他の船にも乗ってみたかったので正直またか、とちょっと落胆した。

11日目

  8月23日

           43〜825レ
滝川  9:56
    11:17 3853M
深川 11:40
    11:51 823D
羽幌 14:51

 
43レの倶知安着は4:53 うっすらと羊蹄山が見えていた。
小樽着6:36 ここから通勤通学列車となった。






岩見沢で行き違った122レはED76501がマヤ34を連れていた。


122レのスハフ32


石狩平野の真っ只中の光珠内で801Mかむい1号を退避。


滝川での乗り換え時間の間に駅のはずれで「北海」を撮ったり駅前食堂で時間をつぶした。




「北海」11D


このころはカラーはお金がかかるのでほとんどモノクロで撮っていた。
熊本の「おおよど」と同じネガに「北海」が写っていた。



次へ