西鉄宮地嶽線多々良車庫1980・8
前年に廃止された福岡市内線の留置車と置き換えが始まったヒトケタアンバーの古強者。
撮影日 1980年8月25日
一両だけナンバー、広告も付いたまま留置されていた504。
ガラスもきれいに残っており、保存予定があったのだろうか。
窓がところどころ開いているので、休憩室に使われていたのかもしれない。
吊り手はほとんど無くなっている。
554を先頭に5両の福岡市内線廃車体が連なっていた。
こちらはヘッドライト、パンタなどは取り払われている。
555
551?
方向幕から丸棒が突き出していた553?
宮地嶽線の前身、博多湾鉄道電化の1929年日車製モ6、元は3扉車だった。
前面にはリベットが残る。
ノーシル・ノーヘッダー・張り上げ屋根のク54。
モ14、宮地嶽線生え抜きの電動車を1961年に鋼体化した形式。
モ13
ク59+モ24 つるんとしたノーシルノーヘッダー車と無骨な戦前派がコンビを組む地方私鉄らしい姿。
ク59は木造省電を鋼体化したもの。
モ24 大牟田線の前身九州鉄道が1936年に製造したモ18(のちにモ12に改番)
1967年に宮地嶽線に転属モ24となった。中間扉を埋めた後がはっきり分かる。
宮地嶽線生え抜きのモ9。
モ8
このあたりの車両は大手私鉄にもかかわらずドアは手動だった。
モ313+ク363
1952年製の日本初のモノコック構造を鉄道車輌に取り入れた形式。
1977年に大牟田線から宮地嶽線に移動した。
当時流行の湘南顔だが鼻筋は通っていない平面顔。
ク360+モ310。
元大牟田線20形、この編成だけ300番台の番号になったが、後に転属してきた120形に合わせ再度改番された。
検修庫のク158。
大牟田線の20形を1978年から1981年に転属、改番し在来車を置き換えた。
倉庫になっていた大牟田線100形。宮地嶽線に転属、改番したモ18かク58のいずれかと思われる。
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