三井化学専用線 2011・4
大牟田市、荒尾市にまたがり炭坑と港を結んでいた三池鉄道は1997年に廃止されたが
JRと連絡する旭町支線1.8kmだけは化学工場への専用線として生き残っていた。
撮影日 2011年4月27日
専用線の運転は午前中2往復。
まず工場から貨車を引いてJR線と接続する大牟田駅北方の仮谷川のヤードにやってくる。
この手の専用線は運休のリスクも付き物で、信号所に職員さんが列車通過10分前ほどにやってきたときはほっとした。
東芝戦時標準BB凸電のプロトタイプとなった45t機19号。
機関車は一旦機関庫のある宮浦に戻る。
途中の旭町3丁目の踏切は列車通過時に警手がいる第2種。
片側3車線の広い道路、ワイヤー式の遮断機も近年減っているのではなかろうか。
機関車を追って宮浦のヤードへ、木造機関庫の横にはバッテリー車をつないだB凸もいた。
しばらく機関車に動きはなさそうなので、ヤードの回りを散策。
2軸無蓋車が2両留置されていた。
カメラだけフェンスの上から出して撮影。
形式はハト?ナンバー4126はいたのだろうか。
さらに奥には45tBB機とB凸が2両留置されていた。
パンタやボンネットの手すりが外されている20号機。
シーメンス製の古典機2号。
色あせたB凸電、ナンバー、社紋が外されているが、シーメンスコピーの国産機のようだ。
集電器はZパンタタイプ。
機関区側に回ってみた。
保線用モーターカーも機関車と同じカラーリング。
工場内の非電化区間で運転するためのバッテリー車。
デ-1というナンバーが見える。
やがて19号機が貨車を受け取りに動き出した。
しばらくするとタンクコンテナを乗せたコキを引いて戻ってきた。
宮浦のヤードに着くと編成を分離、最後尾は黄色の塩素タンクコンテナ。
バッテリー車を従えた11号機も動き出した。バッテリー走行のためパンタは降りたまま。
パンタを上げない電気機関車が目の前を通過してゆくのはなんとも不思議な光景だ。
コンテナ車を1両引いて工場へ。
しばらくするとコキを置いて戻ってきた。
殺風景なヤードにも春の彩り。
大牟田市が保管している三池鉄道機関車の公開の様子はこちら。