モノクロームの残影 談話室 より
    右運転台の9600


現役時代の右運転台49671 北見にて
撮影 「鉄・街・道」831列車様

忠賢八高様主宰のサイト「モノクロームの残影」(現在休止中)談話室に書き込みされた
右運転台の9600に関する記事を編集しました。

右運転台の機関車に関することやお気づきになったことなど掲示板に書き込みいただければ幸いです。

なお、このページは忠賢八高様のご確認いただきまして、TADAが編集アップロードしました。
表示等につきましては、こちらへご連絡ください。

    
真岡市井頭公園に保存されている49671
2002年1月4日  TADA


[No.1170] こんなところに! 投稿者:TADA  2002-01-05 (土)  00:02
  <URL: http://www.photoland-aris.com/kisya/>

本日「初鉄」で真岡鉄道に行ってきました。
上り列車までの待ち時間に真岡井頭公園に保存されている49671を見に行ったのですが、なんとこのカマ右運転台でした。
KEI様のサイトに画像もありますので、とくとご覧ください。
http://kikuchi.server.ne.jp/SL/tochigi/49671/index.htm

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[No.1172]  投稿者:忠賢八高@管理人  2002-01-05 (土)  00:38

TADA様
 真岡にお出かけだったのですか。49671ですがちょっと気になることが・・・。KEI様の説明を拝見すると釧路工場での全検をうけた北見のカマということですが、つまり北見区のカマは旭川でなく釧路で整備を受けていたことになりますね。ということは、私の釧網線の所にある釧網線を走る北見区のD51の写真も全く同じように整備を受けたことになるわけで、49671も釧網線を通しで回送されたということになりますね。ところで何で右運転台だったのでしょうか?。

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[No.1173] 右運転台 投稿者:田駄雄作  2002-01-05 (土)  02:12
  <URL: http://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Desert/1732/rail/yomoyama.html>

49698もそうですが、函館の連絡船入れ換えに右運転台が都合良かったのではないでしょうか。

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[No.1180]  投稿者:忠賢八高@管理人  2002-01-05 (土)  23:12

田駄様
 49671は函館にもいたことがあるのでしょうか。そして連絡船の押し込みでは右運転台がどうして適当だったのでしょうか?。通常、船に対して前向きで使用されてましたよね。つまり海側が運転台ですね。干満などにより船の高さが変わり、海が見えたほうが良かったのでしょうか。

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[No.1182] 函館桟橋の9600 投稿者:田駄雄作  2002-01-07 (月)  03:12
  <URL: http://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Desert/1732/rail/yomoyama.html>

49671は長いこと五稜郭区に配置され、49698などと航送貨物の入れ換えに使われていたようです。ただ比較的早くにDL化されていたようなので、私も見ていません。青森の96はテンダを船側に向けていましたから、函館もそうだったかも知れません。
右側運転台の理由は何かの本か雑誌で読んだような気もしますが、ちょっと記憶にありません。どこか他の場所でも右側運転台はあったような気もしますが、その辺は文献を多くお持ちの方を頼るしかないようです。(一応検索してみましたが出てきませんでした)
他区へ転属後も結構そのまま長く使われていますが使い勝手はどうだったんでしょうね。

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No.1184] 有川桟橋 投稿者:isobe201  2002-01-07 (月)  14:25

五稜郭区の96に右運転台が居たのは、有川桟橋の航送の入換線が、極度の右カーブで、通常の運転席では、全く死角になるからだと言う記述が雑誌に載っていました。(誌名失念)

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[No.1185] Re:有川桟橋 投稿者:田駄雄作  2002-01-07 (月)  19:23
  <URL: http://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Desert/1732/rail/yomoyama.html>

isobe201さんありがとうございます。五稜郭駅北側から出ていた貨物線がありました。貨物専用船はこちらの発着でしたね。
地形図閲覧システムで見たらまだ載ってますけど、↓まだあるんでしょうか?五稜郭駅を出るとかなりきつい左カーブで桟橋に向かいます。ということはやはりテンダを海側に向けていたようです。
http://mapbrowse.gsi.go.jp/cgi-bin/nph-mm.cgi?mesh=6240554&res=0&offset=0&method=u?1585,7

ここで活躍する49698を見てみたかったと思いますが、あのヘッドライトはかえって前方視界の妨げになるような気もします。

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[No.1191] C58の動揺、右運転台 投稿者:TADA  2002-01-08 (火)  00:24
  <URL: http://www.photoland-aris.com/kisya/>

9600の右運転台に関してはピク特集集成の「96のこと」小熊米雄さんの記事によると
「岩見沢区の10両のうち1両は万字線、9両は入換用でその大半は動力逆転機付で右運転台。  中略
五稜郭区の8両は五稜郭・同操車場・有川桟橋の入換と航送用、有川桟橋の関係で大部分は右運転台、中には49698のように前照灯も右よりのものもあり、、、後略」
とあります。この記事とおそらく同時掲載された配置表はS40.3.31現在で
岩見沢 49615,49616,49617,49645,49653,49655,59609,59610,59656,59657
五稜郭 9687,19665,19670,49601,49671,49674,79698,79677
となっています。
このうちどの番号が右運転台だったかの表記はありません。
「蒸気機関車」誌の9600特集にも記載ありませんでしょうか?

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[No.1192] ハドソン3兄弟 投稿者:田駄雄作  2002-01-08 (火)  00:46
  <URL: http://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Desert/1732/rail/yomoyama.html>

それとTADAさま、右運転台の件ありがとうございます。ここに後の大宮機9687がいるのが面白いですね。9687は右では無かったですよね。(再改造されていなければ)79698は49698だと思いますが。

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[No.1193] おっと!! 投稿者:TADA  2002-01-08 (火)  01:01
  <URL: http://www.photoland-aris.com/kisya/>

田駄雄作様
またミスタイプしてしまいました〜m(_ _)m
79698なんてカマ存在しませんね(^^;)ご指摘のとおり49698です。
大宮の顔でもあった9687がこの時期まで北海道とは、私も打っていてアレ、と思いました。
49671のキャブの「釧路工」の表記、私も確認しました。
釧網線回送D51の謎の解決になるか?!

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[No.1195] ハドソン3兄弟 投稿者:isobe201  2002-01-08 (火)  18:18

TADA様
蒸気機関車の9600特集にも、右運転台の9600をリストアップしたものはありませんでした。
田駄雄作様
「蒸気機関車」誌によれば、「49698のライトは入換作業の操車係のために移設した」とあり、右運転台は機関士のためであっても、ライトのほうは機関士のために移設したのではないようです。

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[No.1196] 右運9600 投稿者:831列車  2002-01-08 (火)  19:24

私もあまり資料を持ち合わせておりませんが、いくつかの中から拾い集めた「右側運転台改造」の9600を記しておきます。いずれも北海道在籍の9600です。
9654、19603、19622、19670、49606、49615、49645、49658、49671、49698、59601、59602、69622、69690
TADA様の引用したピク誌やRF138号(72ー10北海道の蒸気機関車)、またいくつかの写真を参考にしました。もちろん北海道以外の地にもいたはずですし、再改造で元に戻ったもの、すでに廃車解体されて現存しないものなどもありますので、実数はかなりなものになると思われます。吉野様など何か資料をお持ちであれば追加していただければ、と思います。
TADA様
ピク誌の特集の中の写真で五稜郭区で入換中の19670も右側に逆転器が付いていましたね。あと私が北見で見た49671は休車のような感じでした。なお元空気だめにも「K・R」の表記がありました。(釧路工場?)

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[No.1198]  投稿者:忠賢八高@管理人  2002-01-09 (水)  00:33

田駄様
 有川桟橋のカーブと関連があったのですか。でもテンダを船向きに向ける理由はなんであったのでしょう?。シロート的に考えますと正方向の方がブレーキ操作もし易かったのではとおもいますが。でも左カーブで正方向であったらわざわざ運転台を逆にする必要はないですよね????。

isobe201様
 有川桟橋についてはいずれ誌名などどこかで確認したいですね。

TADA様
9687ですが五稜郭の後で大宮に転属だったのですね。それで大宮で右運転台だった訳だったのですか。しかし何でまた大宮に・・・。テストの意味もあったんでしょうか?。9687は川越線にも入ってましたよねー?。どーして???。
49671の釧路工の記載は重要な手がかりですね。

831列車様
 右運、結構いたのですね。まとまった資料はなかなかないようですので実数はつかめませんね。

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[No.1201] 右運追加 投稿者:831列車  2002-01-09 (水)  18:34

また少し資料が出て来ましたので追加します。ただ誤記や他のページに違うカマで右運転台のものなどが出ていたり、はなはだ統一がとれていませんので、確定ではありません。
「旅」増刊より
29622、49612、59610、59654
*前回のものと重複したものは除きました。

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[No.1202] D50、ハドソン3兄弟 投稿者:吉野富雄  2002-01-09 (水)  22:06
  <URL: http://homepage2.nifty.com/SAKU1967/>

こんばんは。
isobe201様
五稜郭の右運転台9600は、聞いたことがありますが、残念ながら手元に資料がないので、くわしいことはわかりません。ただ、函館の桟橋はは函館駅側から見ると、大きく右カーブを描いていますので、右運転台なら連絡船に向かって前向きに運転することになりますね。田駄雄作様

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[No.1204]  投稿者:忠賢八高@管理人  2002-01-10 (木)  00:06

831列車様
 29622もそうでしたでしょうか。NABEX様のところの謎のキューロクとしてありますね。このカマは米坂線の後岩見沢に転属になってますね。私も米坂線と幌内線の両方で撮っていますが右だったとは気がつきませんでした。
吉野様
 函館桟橋は右カーブですね。駅も札幌から見て右にカーブしてますし・・・。そうするとやはり連絡船に対して前向きの方が正しいのでしょうか?。うーん、わからなくなってしまった・・・。

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[No.1207] ハドソンBEST 投稿者:TADA  2002-01-10 (木)  13:01
  <URL: http://www.photoland-aris.com/kisya/>

右運転台の9600、29622もそうですか?!写真よく見てみよう。

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[No.1214] 函館桟橋 投稿者:isobe201  2002-01-11 (金)  01:07

忠賢八高様
残念ながら、有川桟橋のSL時代の写真については、見たことがありません。49698が右運転台だった理由については、雑誌名はまだ思い出せませんが、ごくあっさりと記述してあっただけだと記憶しています。
函館桟橋のほうはいくつか写真がありましたが、古い絵葉書や「全国鉄道と時刻表1北海道」(新人物往来社)の写真では9200(9228号?)がバックで連絡船に貨車を押し込んでいる写真があります。文章でも「機関車の後部に控車3両を連結し、その後に貨車を…」とあり、バックが定位置だったようです。
しかしながら、「蒸気機関車」No8には1956〜59年の青函連絡船の貨車作業の写真が載っていますが、(29601、39656などが写っています)どの写真も函館桟橋では機関車の頭に控車を連結しています(他でもこの向きの写真を見た記憶があります)。逆に青森方はバックで貨車を押し込んでいます。どこでこのように変わったのか?また謎が増えました。

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[No.1222] ジェット機 投稿者:isobe201  2002-01-12 (土)  15:08

831列車様
ところでR/J(71/11)によれば39683[門司]も右運転台だそうです。(理由については記載なし)

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[No.1275] 菊池写真館です 投稿者:KEI  2002-01-19 (土)  21:06
  <URL: http://kikuchi.server.ne.jp>

こちらではお初かな。
TADAさまのお知らせで参りました。96の話題を拝見しました。地元に保存されている缶ですが、履歴など詳しいことあまりわからず難儀しておりました。皆様の詳細な情報を生かして、当方の静態保存の49671のページ解説資料に参考にさせて頂こうとおもいます。49671は栃木県で管理しているものですが、屋根付きの場所にあるもののメカ的は手入れは一切行われておらずちょっと残念な気がします。また北海道から回送時は、真岡線に入れて持ってきたとも言われ、真岡線に入線した唯一(?)のテンダー機だそうです(^^;

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[No.1322] C50+20系 投稿者:TADA  2002-01-24 (木)  00:34
  <URL: http://www.photoland-aris.com/kisya/>

ところで鹿児島の変形テンダ48674も右運転台ですね。ピクに写真載ってました。
それと鷹取の48667、これはなんと右運キャブ内写真が載ってます。
いずれも「蒸気機関車特集集成(上)」から。

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9600 ニンジャ 2009-5-20

ホームページ、少しづつ各項目を見ているのですが、今日は右運転台の9600について読んでいました。函館桟橋では航送車両の連絡線への積み込みの際、機関車は船に向かい前向きで作業をしておりました。
青函連絡船には30回
くらい乗っており、殆どの場合積み込み作業を甲板から眺めておりました。
北見区の機関車の整備・修理は全て釧路で行っていた
ようです。
釧路工場のことを私達は工機部と呼んでいましたが、
ここでの保守・修理は足元の釧路機関区は当然ですが、他は池田区、帯広区、新得区、標茶区、北見区の罐を扱っておりました。但し、どなたかの書かれていた北見区のD51、それも釧網線を走らせていたということは初めて知りました。
釧網線はC58の天下
でして、線路規格(釧網線の一部は丙線でした)の関係でD51などは無理だとばかり思ってましたので、驚愕の事実でした。
北見区の
D51を旭川ではなく釧路で修理・保守・点検というのも初めて知りました。
北見区の罐のうちC58、9600、8620などは釧路で扱っていたのは間違いありません。 

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