高松琴平電鉄 1979・3
その3 仏生山車庫

多種多様な電車が休む車両基地。
撮影日 1979年3月6日


本線を元名鉄の1020形が通過。


前面2枚窓の780形790、元は(旧)西武のモハ204を西武所沢工場で2枚窓に改造、
山形交通三山線に譲渡、モハ112となった後、1975年同線廃止後琴電入り、1983年には電装解除され870となった。


元東武の730と買収国電の1201。


琴電オリジナルの楕円形プレートを付けた5000形500。


500は120、300とともに2007年の全車冷房化の後も動態保存車としてイベントなどで使われている。


5000形520、500と台車が異なる。
琴電では台車、モーターの交換が良く行われており、諸元表と異なる場合も多い。


12000形1202、富士身延鉄道クハユニ302→国鉄クハユニ95003 改番クハニ7202。


荷物室の跡が残る変則的な窓配置、琴電入線当時はクロスシート装備で「りつりん」の愛称をもち急行に使われた。


12000形1201、富士身延鉄道モハ103→国鉄モハ1202。


1010形1011、「こんぴら2号」の愛称を持ったクロスシート車。
撮影当時は休車中でこの後前面貫通式、制御器変更、ロングシート化の改造が行われた。


950形960、ノーシル・ノーヘッダー、張り上げ屋根の好ましいスタイルだが元は国鉄オハ31299。


検修庫の1029、1051、820。名鉄、阪神、豊川の車両が仲良く並ぶ。


1029は元名鉄モ3712、1051は元阪神初代5001、8000形820は元豊川鉄道クハ102→国鉄クハ5611。


総武→東武の7000形710。


総武モハ1001→合併 東武モハ1001→琴電710。


オハ31が電車に化けた950と編成を組んでいた。


950、元国鉄オハ31137、日車標準形にも似た明朗なスタイルだが
車端部のアンチクライマー、元デッキ部分がすぼんでいるなど種車の面影を残す。


元阪神が出庫、2扉化され足回りは京急230のものが使われていたが、その後新性能化された。


710+950、氏素性が全く異なる電車が編成を組むのがローカル私鉄の楽しさ。


深い屋根が特徴の川崎造船製740形740、元西武モハ555→山形交通三山線モハ4。


740とペアを組んでいた850は南武鉄道クハ253→国鉄クハ6012。


鈍重な川造に窓が大きい軽快なスタイルの買収国電、なんともアンバランスな編成だ。


日中の琴平線はほとんど元名鉄1020形だった。

最後に仏生山のゲテモノを2点。


電動貨車デカ1、貨車の台枠を2両分使って自社工場で造られた無蓋貨物電車。


クレーンを使って荷役中。
台車が荷台からはみ出しているのがなんとも言えない味だ。


車庫脇に留置されている一見ただのワフ。窓があるのとナンバー跡も残っているが・・


これは珍車中の珍車、国鉄ワフ25000を制御車に改造した11000形1120。
戦後の車両不足の折1948年に6両改造された。


車庫をぐるりと一回りした後は瓦町に。

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