モノクロームの残影談話室より
北のC55・C57

忠賢八高様主宰のサイト「モノクロームの残影」(現在休止中)談話室に書き込みされた
北海道のC55.C57と北見・網走付近の蒸機列車に関する記事を編集しました。
この件に関することやお気づきになったことなど掲示板に書き込みいただければ幸いです。

なお、このページは忠賢八高様のご確認いただきまして、TADAが編集
アップロードしました。表示等につきましては、こちらへご連絡ください。

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[No.1830] 遅くなりました、C57お気に入り投票!! 投稿者:ぎんちゃん  2002-04-03 (水)  22:53

  <URL: http://hp1.cyberstation.ne.jp/ginchan/>

今回はC57ですね、結構好みが偏っちゃうんだよな〜・・・恥ずかしながらC57は4次型しかないでしょう、ではでは投票いたします。

201番 北海道の生え抜きラストナンバー、小樽築港時代のD51従えて狩勝峠を行く写真をみて感動した、実物をみたかった。

200番 同じく北海道代表、なんたってスノープロウがこれほど似合っちゃう型はこれしかない!!北海道の4次型が一番かっこいい!

192番

196番

199番 宮崎機関区三羽烏、大淀川で、青井岳で一喜一憂しながら撮影してました。個人的には門デフより標準のデフのほうが好き・・・かな。

 87番 福知山時代の栄光(いずもの専用機)を知らず、塩狩で「C55じゃないよ〜」と冷たくしてしまった。沖縄に保存ってほんと?

117番 48年4月のお召し機、8月に訪れた時も他の蒸機とは違う華やかさを持っていました。

 66番 通勤途中の大森近辺で電車の窓から眺めてました。いつかそばまで行って・・・と思いながら、転勤で最近は見てません。大事に保存されてますか?近況教えて下さい。

135番 (神田に保存後)がいい、赤いナンバープレートが幸運を運ぶ?今にも走り出しそうな状態が夢を見させます。山口百恵のファンとしてははずせない1両でした。

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[No.1834] 質問〜ん 投稿者:isobe201  2002-04-04 (木)  01:06

ぎんちゃん様はじめまして。

C57201への投票有難うございます。早速質問ですが、C57201が狩勝峠を行く写真は、どの本に載っていましたか?私は201号が狩勝峠を行く写真を捜しているのですが、中々見当たらなくて、困っていました。

ある本では、194と201は急行運用に充てられて、もっぱら大雪(小樽−旭川)、まりも(小樽−富良野)の牽引が多かったと書かれていたので、C57201の狩勝峠越えは「幻」でしかないのか?と思ってました。

ついでにもうひとつ。

SLNo1の三品氏の名作「C62重連まりも」などをはじめ、一部のルポ記事には「まりも」の小樽−釧路をC57のロングランで運用したように表現している事があるのですが、手持ちの資料が乏しいため、そのような運用があったか確認できていません。私の手元にあるのはどれも、富良野以東はD51の牽引になっています。どなたかご存知ありませんか?

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[No.1838] というわけで 投稿者:isobe201  2002-04-05 (金)  01:37

C5787の近影

http://www.asahi-net.or.jp/~PI5K-UN/hozon/c57_87.htm

随分前から荒廃しているという報告があり、いつ解体されてしまうか気がかりな87号ですが、2001年8月時点ではまだこの通り〜。

C5766の近影

http://www45.tok2.com/home/penta/cgi-bin/clip/clip.cgi

過去ログの225〜227が昨年12月の状況です。

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[No.1840] 近影拝見! 投稿者:ぎんちゃん  2002-04-05 (金)  10:06

  <URL: http://hp1.cyberstation.ne.jp/ginchan/>

isobe201様

こん**は、C5787・66の保存情報ありがとうございます。さっそく見てきました、沖縄の87は随分と荒廃している様子、土地柄潮風の影響が大きいんでしょうね、沖縄にはめったに行く機会もないしな〜。大森の66は今でも動輪が動くんですか?汽笛も鳴るようだし近日中に行ってみたいと思いました。

確かに「狩勝のC57」じたい写真があまり見られませんね、201の写真は当時高校生の頃に友人の持っていた本でみました。詳細については申し訳ありませんが記憶がないんですm(__)m それにしても小樽〜釧路のロングランとは圧巻!区間運転ではC58なんかも入線していたようです。昭和43年10月以降194・201は旭川電化まで急行指定機関車として活躍していたようです。どなたか200・201の写真みせてくださ〜い。

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[No.1842] C57ロングラン 投稿者:田駄雄作  2002-04-05 (金)  10:16

  <URL: http://tadayusaku.2.hotspace.jp/>

昭和47年、RJ誌のC57特集の号にその記事が載ってます。

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[No.1846] 小樽築港のC57 投稿者:isobe201  2002-04-05 (金)  23:57

ぎんちゃん様

先にご紹介した66号の写真はこちらにもおこしになる、KURI様の撮影です。昨年12月頃のレポートですが、今も動輪を動かしているようです。

C57200の狩勝峠での写真は「日本の蒸機列車1960年代(上)」庄野鉄司氏(同じ物が「蒸気機関車」No44にあり)、「蒸気機関車」No61に村樫四郎氏の写真がありますが、今は簡単には手に入らないでしょう。

C57193の狩勝峠での写真はレイルNo34に臼井茂信氏の写真が(同じ物が鉄道ファン1965年12月号にあり)、バックナンバーは交通博物館にもあります。

C57197のは田駄雄作様ご案内のR/JのC57特集(72/3)にありますので、これも交通博物館で見ることが出来ます。

田駄雄作様

R/JのC57特集は持ってます。このC576の記事は田駄様のでしょうか?

昭和31年11月19日改正の小樽築港のC57運用表では、C62が乙組、C57は甲組になっています(C62を差し置いて)。

仕業No1 小樽311レ旭川〜旭川2レ(大雪)小樽

仕業No2 小樽411レ釧路

仕業No3 釧路412レ小樽

仕業No4 小樽1レ(大雪)旭川 (以下省略)

仕業No5 小樽7レ(まりも)富良野8レ(まりも)小樽

仕業No6 小樽503レ旭川4レ(アカシア)小樽

仕業No7 小樽3レ(アカシア)旭川504レ築港

仕業No8 小樽315レ旭川510レ小樽

仕業No9 小樽419レ釧路

仕業No10 釧路418レ小樽

仕業No11 小樽509レ旭川24レ小樽

仕業No12 (一部略)札幌108レ函館(苫小牧回り)

仕業No13 函館107レ札幌(苫小牧回り)(以下略)

仕業No14 小樽25レ旭川312レ小樽

短い区間の回送は省略。

先の書込みにも書きましたが、小樽築港のC57の運用表はこれしか持っていないので、正確には良く分かりませんが、「まりも」は狩勝新線開通まで富良野で機関車を交換していたのではないでしょうか?

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[No.1849] C57201 投稿者:フジシロー  2002-04-06 (土)  00:43

  <URL: http://homepage2.nifty.com/fujishirou/newpage2.htm>

神居古たん(変換しない〜)での保存で良ければあるのですが・・・

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[No.1863] 皆様ご無沙汰です その1 投稿者:忠賢八高@管理人  2002-04-08 (月)  13:29

iosbe201様

 ロングラン運用のC57でラストまで残っていたのはありましたでしょうか。全廃一寸前に廃車になった149号は確かロングラン仕様になっていたカマであったと思いますが・・。201号や200号の写真ってやはりあまりないですね。126号も有名なわりにはあまりないカマのひとつですね。87号は沖縄まで持っていったのですから大切にしてほしいですね。ちなみに私が提供させて頂きました87号の画像ですが千歳線で下り急貨の前補機D51231とともに活躍している写真です。

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[No.1868] 小樽築港のC57の番号と形態について 投稿者:isobe201  2002-04-09 (火)  00:52

小樽−釧路のロングランがあった期間は昭和27年6月〜昭和41年10月で、その間の配置は

昭和30年8月 釧路区のC57を小樽築港に集約(13両)

C573[釧路・小樽築港](KR製重油タンク・密閉キャブ)

C5757[小樽築港](NH製重油タンク・密閉キャブ)

C5764[釧路・小樽築港](KR製重油タンク・密閉キャブ)

C5791[釧路・小樽築港](KR製重油タンク・密閉キャブ)

C57104[釧路・小樽築港](KR製重油タンク・密閉キャブ)

C57118[小樽築港](密閉キャブ)

C57135[小樽築港](NH製重油タンク・密閉キャブ)

C57141[小樽築港](NH製重油タンク・密閉キャブ)

C57142[小樽築港](NH製重油タンク・密閉キャブ)

C57149[釧路・小樽築港](KR製重油タンク・密閉キャブ)

C57177[小樽築港](NH製重油タンク・密閉キャブ)

C57200[小樽築港](NH製重油タンク・密閉キャブ)

C57201[小樽築港](NH製重油タンク・密閉キャブ)

昭和36年4月 17両

C573

C5744[仙台]より転入(密閉キャブ)

C5750[宇都宮](NH製重油タンク・密閉キャブ)

C5757

C5764

C5791

C57118

C57135

C57138[宇都宮](NH製重油タンク)

C57142

C57149

C57177

C57193[盛岡](密閉キャブ)

C57194[盛岡](密閉キャブ)

C57197[盛岡](密閉キャブ)

C57200

C57201

昭和40年4月 18両

C573

C5744

C5750

C5757

C5764

C5791

C57104

C57118

C57135

C57138

C57142

C57149

C57177

C57193

C57194

C57197

C57200

C57201

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[No.1872]  投稿者:忠賢八高@管理人  2002-04-10 (水)  00:32

isobe201様

 ロングランC57こんなにいたのですね。一次型から4次型まで91、104、149、177号などは晩年まで残っていた割には写真があまり登場しないカマですね。私も104号の牽引する列車にも乗ったことがありますがナンバーの分かるような走りの写真となると何故かないです。

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[No.1875] ナンバープレートの話その5 投稿者:isobe201  2002-04-10 (水)  14:06

忠賢八高様

C572、C573などもきわめて地味な生涯を送ったカマですね。私の家にある本でもこの写真が載っていたのはそれぞれ1回だけです。C572は廃車になったときにかなり多くの部品をC571に譲ったという噂がありますが、C571は昭和31年にボイラーを新品に交換し、昭和36年の転覆事故後の復旧に際して新品の足回りに交換された(このため、「C57202」と呼ばれたとか)というのが真相のようです。しかし、C572がC571の復活の犠牲になったという話は1972年のR/J誌に載っていたのを始め、根強い噂なので、チャンスがあればC571の刻印も調べたくなりました。(吉野様、佐々木様どうしましょ?)

C573は桑園付近でトラックと衝突したため、据付ボイラーとして短期間使用されたあと、廃車になったようです。

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[No.1878]  投稿者:忠賢八高@管理人  2002-04-10 (水)  21:26

isobe201様

 C572、3となるととんと話が出てきませんね。もし晩年まで残っていたらかなり話題に上がるカマでしょうに・・・。C58も2号は1号と一緒にいたにもかかわらず知名度はかなり低いです。C62とC61位ですかねー、2号で有名なのは・・・。C62にしてもC61にしても1号が早くに廃車になったため知名度がアップしたカマですから・・。

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[No.1889] C55 投稿者:北のC55  2002-04-12 (金)  13:13

北海道のC57が大変話題になっておりますが

どなたか北海道のC55の配車について詳しい方はおりますでしょうか ?

私が撮影をはじめた昭和47年ころは、旭川にC55 30, 47, 50の3両のみが残ってました。

それ以前は、旭川には、1, 16, 43, 49などもいたと思います。

確か全盛期には、室蘭や小樽築港にもいたとおもいますが、どなたかこの辺の情報に詳しい方おりますでしょうか ?

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[No.1890] 釧網線のD51 投稿者:北のC55  2002-04-12 (金)  14:58

管理人様、

「なぜ釧網線にD51が入っていたか謎です。」とのことですが、撮影された昭和40年代には、北見、遠軽、帯広、池田それに釧路のカマは、全検は釧路工場でやっておりました。

北見と遠軽のカマは検査後、釧路区のC58が牽引する634列車の次位でまず網走まで無煙回送されました。この列車は確か網走に午後2時半ころ到着だったと記憶してます。

その後、網走3時ころ発の貨物列車(列車番号は忘れてしまった)の次位にて北見まで回送されてました。この貨物の牽引は、たしか北見機関区のC58だったはずです。

そのころ私は、網走に住んでいて、通っていた小学校が網走駅のすぐ近くにありました。これらの列車が網走駅にくるのと下校時が時間的に重なっており、無煙でも列車が重連でやってくると結構うれしかったものです。

1ヶ月に1度くらいの割合で重連になってました。

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[No.1891] C55北海道 投稿者:isobe201  2002-04-12 (金)  20:32

北のC55様網走にお住まいだったとのこと、羨ましいです。現役蒸機を沢山写真に収めている人も羨ましいですが、蒸機を通学などの足に使っていた人はもっと羨ましいです。

お問合せの配置表は、鉄道ファン(97/10月号)にも載っています。書泉などではまだバックナンバーがあるのではないでしょうか?もちろん交通博物館の図書室でも閲覧できます。いちおう書き出します。スタイル的には在道の期間が短かったC552、C557を除いて密閉キャブのはずです。

昭和15年4月

小樽築港

C551、C5516、C5517、C5530、C5531、C5532、C5559

苗穂

C552(もと[小樽築港]、のち[大分])

昭和20年4月

小樽築港

C551、C5516、C5517、C5530、C5531、C5532、C5542([静岡])、C5543([静岡])、C5559

昭和25年4月

小樽築港

C5530、C5531、C5532、C5543

旭川

C551、C5516、C5517、C5542、C5559

昭和30年8月

旭川

C551、C5516、C5517、C5530、C5531、C5532、C5542、C5543、C5547([会津若松])、C5548([青森])、C5549([青森])、C5550([青森])、C5559

昭和35年4月

室蘭

C551、C5530、C5531、C5532

旭川

C5516、C5517、C5542、C5543、C5547、C5548、C5549、C5550、C5559

昭和40年4月

室蘭

C551、C5530、C5531、C5532、C5538([名古屋])

苗穂

C5525([名古屋])、C5536([名古屋])

岩見沢

C557([名古屋])

旭川

C5516、C5517、C5542、C5543、C5547、C5548、C5549、C5550、C5559

昭和44年4月

旭川

C551、C5516、C5530、C5543、C5547、C5549、C5550

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[No.1893] C5644 宗谷本線のC55 投稿者:吉野富雄  2002-04-13 (土)  09:18

  <URL: http://homepage2.nifty.com/SAKU1967/index.htm>

 isobe201様、北のC55様がふれてみえる北海道のC55ですが、昨日古書店で「月刊世界鉄道写真全集」の1973年5月号を購入しました。「宗谷本線のC55」が特集の号です。昭和46〜48年撮影の写真が掲載されていてナンバー画が確認できる範囲で見ると、C551,30,47,50が登場します。見渡す限りクマザサに覆われた原野を走る蒸機もいいですね。宗谷本線名寄以南ではC11の復活運転が行われましたが、稚内近辺での運転も期待したいですね。小樽のC5550が復活できれば言うことなしですが・・・。

 長文失礼しました。

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[No.1898]  投稿者:忠賢八高@管理人  2002-04-14 (日)  01:23

北のC55様

 どうも初めまして。網走にお住いだったとのこと、貴重な情報ありがとうございました。釧網線のD51の写真はHPを立ち上げた最初の時の画像ですがこの半年間謎のままでした。しかし遠軽区まで釧路で整備していたとは・・・。てっきり旭川だと思い込んでました。でも月一度の貴重な画像だったんですね。

isobe201様

 C55情報ありがとうございます。さすがisobe様。我が大家様のBBSで何故かC55の話題が盛り上がってました。
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[No.1902] 追加画像拝見 投稿者:isobe201  2002-04-14 (日)  20:26

佐々木様毎度の事ながら、ご苦労様です。

フジシロー様C57201拝見しました。神居古潭(「かむい」すら変換しない!)2度も訪問されたのですか?私も1990年頃に訪問しましたが、機会があればもう一度見てみたいと思ってます。

831列車様

C57201のナンバープレートは「C5720 1」に見えるほど、0と1が離れています。「ナンバープレートの話」では1が2個以内の場合は横幅を特に狭くしなかった−という事なので、不思議ではありませんが、実際のところ末尾が1の場合は少し横幅を狭く作成した場合が多かったのではないでしょうか?

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[No.1903] C57201 投稿者:831列車  2002-04-14 (日)  23:10

isobe様

佐々木様のところの201の画像を拝見しました。さすがHNにされるだけのスタイルの良さ! デフの切り詰めもあまり気にならないし、やはりC57四次型の整った姿を再認識しました。もちろん標準型のC57もスタイリストですが、戦後型は重厚なC59を思わせる姿でやっぱり別形式を与えてあげたいような気がします。ナンバープレートの不揃いも戦後の繁忙時とて、ナンバーの番号貼付けにまで担当者の心配りがまわらなかったのでしょうね。なにはともあれ201号の今後が無事であるように願うばかりです。(44年頃の保存ですから、もう33年余り神居古潭・・・「たん」は51個目で変換・・・にいる訳ですね。すでに現役時より長い時期を過ごしているのでしょう。)

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[No.1906] C55の情報ありがとうございます。 投稿者:北のC55  2002-04-15 (月)  08:51

isobe201様、

C55の配置情報ありがとうございました。

こんなに多くのC55が北海道に配置されていたのですね。

感激しております。30、31、32の流線型3兄弟も戦前から小樽にいたのですね。彼らの流線型当時の姿を写真でもいいですからぜひ見たいものです。

 

忠賢八高様

確かに遠軽からは、釧路より旭川の方が近いのですが、旭川では、SLの全検

や半検などの大規模な修理は、行っていなかったと思います。C55など旭川区のカマも苗穂に運ばれて検査をやっておりました。彼らのキャブの下の方には、検査工場を示す、苗穂工と検査年月が書かれておりました。

ただ旭川には、当時車両センターという検査区があって、釧路と旭川管理局所属のDCと客車の検査はここが担当しておりました。

JRになってからはDCやの検査はどうなっているのでしょう。私も北海道を離れて20年以上になるので、情報に疎くなりました。

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[No.1910] レス 投稿者:isobe201  2002-04-16 (火)  00:32

北のC55様

C5530の流線型当時の写真は、当時の国鉄北海道総局の記念急行券発行の際、探したそうですが結局配属直後の形式写真しかなかったそうです。この写真は鉄道ファンNo108に掲載されていますので、交通博物館の図書室等で閲覧できると思います。

なお、C551、2は小樽築港に新製配置、トップナンバーを北海道に送り込んだのは、地方サービスのひとつで、C5530〜32も新製配置ですが、これは流線型を全国に宣伝したかったためだと書いた記事があります。

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[No.1919]  投稿者:忠賢八高@管理人  2002-04-17 (水)  01:46

北のC55様

 網走情報ありがとうございました。確かに!キャブ横の全検は釧路工の記載がありますね。北見のカマにも・・。北見のC58が釧路まで入ってましたから全然不自然に感じませんでしたか、考えてみればD51だってそうですね。でも有火の回送はあったんでしょうか?。

呼人で午前中に上りのC58+9600の臨貨に出合ったことがありますが、これは一体何だったんでしょうか。また色々とご教示ください。

 

isobe201様

 C5530の記念切符ですね。あー知ってる知ってる!。結構シリーズものでいろんなものが沢山出てましたね。C5530は持っていた気がするんですが・・。

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[No.1922]  投稿者:北のC55  2002-04-17 (水)  15:50

忠賢八高様

有火でのC58+9600の重連は、網走ー美幌間では珍しいです !!

釧路工場で検査を終えた場合は、無煙回送でした。

通常網走に来ていたのは、遠軽区所属の9600ですが、勇網線の貨物が1往復と網走での入替え作業を担当しておりましたので、石北線に入ることはありませんでした。

北見にも9600がいましたが、同区の9600は、北見-美幌間の貨物と相生線の貨物牽引を担当してました。この9600は北見より美幌に早朝到着後、入替え作業を行い、相生線を貨物で往復し、同日夕刻に北見へ戻ってました。北見へ戻るときは通常、9600単独の貨物列車なのですが、荷が少ないと網走からくるC58牽引の貨物と一緒になって美幌から重連になることはたまにありました。

午前中に呼人で見られた貨物は、勇網線上りの貨物が運休になり、9600だけを北見経由で遠軽まで重連回送したことが考えらます。9600の番号を覚えられていますでしょうか ??

それから石北線の無煙化完了寸前には、北見や遠軽のD51はキャブ横の全検は苗穂工の記載をつけたものがほとんどでした。 これは、函館線の無煙化後、余剰になってD51が長万部や鷲別から転属してきたためです。D51 150, 444, 1153などがそうです。その代わり長く北見にいて「大雪」や9600とコンビを組んで常紋を往復していたD51 157や312などは無煙化をむかえることなく廃車になってました。新顔のカマとご対面できるのはうれしかったですが、同時に無煙化がどんどん押し寄せてくることを実感し、さびしさもありました。末期には、それにしても車検切れまで長い期間のあるカマのやり取りは、結構盛んでしたね。道内だけではなく、九州で活躍していた9600も遠軽や追分までやってきましたから。19680などは極寒の勇網線でよくがんばったものです。

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[No.1928] 稚内区のボイラーは? 投稿者:831列車  2002-04-18 (木)  16:16

宗谷路のC55の話題がちょこっと出て来た際に調べものをしたら、また出て来ました稚内区の代用ボイラー。以前話題となった「幻の稚内のD61」ですが、あのD61が去ったあと、また機関区には廃車予定のD51が運ばれてきてボイラーの代用を勤めていた様です。49年の3月頃、当区には深川からきたD51105(49ー3名寄廃車)と北見からきたD51829(49ー8北見廃車)の2両のD51が代用ボイラーとして区に設置されています。稚内区のボイラーはよほど調子が悪かったのでしょうか?またなぜ区にいる9600を使わずに他区のD51を持って来たのでしょうか、ちょっと謎ですね。また意外とこのボイラー機についての皆さんの記録がないのもやはり「まずC55だ」の気合いの入れようの違いだったのかもしれませんね。

なお、この記録は「蒸気機関車」32号(74ー7)にありました。

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[No.1929]  投稿者:忠賢八高@管理人  2002-04-18 (木)  16:53

北のC55様

 またまたの網走情報有難うございます。そうすると、網走ー美幌間での9600は貴重品と考えて宜しいですね。たしか美幌駅なんですが同じ日の夕方、9600の単機貨物も撮っています。このお昼の重連臨貨の9600と関連があるんでしょうか。

19680は湧網線で一度お目にかかりました。

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[No.1930] 稚内機関区 投稿者:忠賢八高@管理人  2002-04-18 (木)  17:01

831列車さまにもご協力を頂いた稚内機関区のD616ですが、皆さんやはり抜海あたりで一日を過ごされていたからあまり写真も出てこないのでしょうか。

 私が何で稚内機関区に行ったかともうしますと、既に前日、前前日と2日夜行列車での夜明かしのため疲労の局地に達していたのと、利尻富士の見えるとこで324レを撮影後、ぶらぶらしていた時にハチに刺され、薬を求めて市内まで戻ってきたため、行くとこがなくなりあきらめて南稚内での発車でお茶をにごしてたからなんですよ。ま、それがひょうたんからこまといったとこでしょうか。その後もD51などを代用ボイラとして利用していたとなるとなんででしょうねー。9600も期限切れがいたはずなのに・・・。北見のカマはもしかして名寄線で回送されてたんでしょうか。

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[No.1931]  投稿者:TADA  2002-04-18 (木)  19:28

  <URL: http://www.photoland-aris.com/kisya/>

北のC55様

当時の現地情報、ということで、ひとつお伺いさせてください。

石北本線、遠軽〜北見の無煙化はいつだったのでしょうか?

以前私の板でも話題になりましたが、はっきりとした日にちは謎のままでした。

当時は組合との話し合いがついたらDL運用を始める、といった形だったようで、大撮影地常紋を最後に越えたカマも知りたいところです。

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[No.1934] レス 投稿者:isobe201  2002-04-19 (金)  00:44

831列車様

またまた素晴らしいネタ有難うございます。そういえば「据付ボイラ代用」と言う言葉はかなり前から知ってはいましたが、言葉の響きから「冬季の暖房用」か「職員用の風呂の給湯用」かと漠然と想像していただけです。どんな用途だったのでしょうか?そして稚内区のD51、D61のほかにも、池田区(?)ではC573、直方(?)でC5555を使ったことがあるようですが、96や86を使ったと言う報告は余り聞かないように思います。

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[No.1938]  投稿者:北のC55  2002-04-19 (金)  13:46

TADA様、

石北線、北見ー遠軽間の無煙化ですが、地元のSL追っかけ連中の間でもなぞでした。確かに組合との話し合いがついたらDL運用を始めるということがうわさになっていました。無煙化の年の75年1月ころには、旭川に1000番代のプレートをつけた新車のDD51がぞくぞく投入されて北見まで顔を出し始めてました。当時私は、網走の中学3年で、春休みを利用し3月には、毎週のように常紋まで足を延ばしてました。そのときは午前中の下り貨物1本と午後の上りの貨物2本はまだD51の牽引でした。しかし4月になり新学期もはじまり、毎週常紋通いは不可能になりました。この区間ではサヨナラ列車も運転されず、無煙化の記事も地元の新聞さえ載らなかったと思います。

75年の春は、道東、道北でサヨナラ列車の運転があっちこっちでありました。特にゴールデンウイークには、広尾、宗谷、名寄線で9600による2連、3重連のサヨナラ列車が運行されました。でもこのゴールデンウイークの時にはすでに北見ー遠軽間から煙は消えていたはずです。ですから私には、無煙化は、75年4月とまでしか分かりません。

あれほど人気を集めた常紋を抱えた北見ー遠軽間でのサヨナラ列車の運行はありませんでした。常紋にファンが殺到するのを旭鉄局が恐れて運行しなかったとうわさもありましたが、真相はどうなのでしょう。本当に常紋からは、だれも知らないうちに煙りが消えた気がします。

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[No.1939]  投稿者:北のC55  2002-04-19 (金)  14:15

忠賢八高様

網走ー美幌間での9600は貴重品です。特にC58との有火2連は、見たことも聞いたこともまりません。撮影された9600の番号が写真から分かりますか ?

それから夕刻美幌で撮影された9600の単機貨物は、定期の貨物です。このカマは、早朝北見からやって来て、美幌の精糖工場と美幌駅の構内で軽い入替え作業をこなします。その後、相生線の往復貨物を牽引し、夕方単機貨物で北見へもどって行きます。ただこのとき帰りの貨物が無いと網走からやってくる別の列車番号を持つC58が牽引する貨物列車と重連で北見へもどっておりました。という訳で北見-美幌の9600は、定期でありましたが、網走-美幌の9600となると貴重品です。

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[No.1940]  投稿者:忠賢八高@管理人  2002-04-19 (金)  14:34

北のC55様

 石北第2弾をアップしなければなりませんね。

といいますのは昨日の私のカキコ、美幌ではなく女満別のつもりで書いたんですが書き間違えてしまいました。呼人からどうみても美幌まで行った覚えがなく、女満別ではと思うのですが・・・・。

 美幌は北見から相生線用のカマが入っていたのは知っておりましたし、あれまこんなところで・・・と思った記憶があります。ただ、駅の脇からカマだけを撮った写真しかなく、どの駅であったか全体像が記憶にありません。ということで、近々にこれも含めアップしますので、ご鑑定の程をお願いします。

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[No.1944] 常紋最後の日 投稿者:TADA  2002-04-20 (土)  00:13

  <URL: http://www.photoland-aris.com/kisya/>

北のC55様

当時の状況、ありがとうございました。

やはり人知れずひっそりと消えていったのですね。

それにしても毎週常紋に通われたとはうらやましい。(@@)

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[No.7990] 初めまして 投稿者:ニンジャ  2009-05-07(木)  05:17

C57135さん
初 めまして。 ニンジャと申します。 こちらでは新参者です。 よろしくお願いいたします。
C57135というHN、そちら様のホームページへ行って由来 を知りました。 この罐は長いこと小樽築港に在籍していて、主に小樽-釧路間で運用されていました。
急行まりも及び小樽釧路間の普通列車などが活躍の列 車でした。
根室本線の狩勝越えでは後補機に新得区のD51を従えて働いておりました。
秋になるとスノウプラウを装備して、それを見ると冬近しを思った ものです。
同じ築港区のC57のラストナンバー201号機は根室本線には余り運用されず、恐らく函館本線の旭川方面に使われたのではないでしょうか。 函館本線の滝川から下り方向は色々な蒸機が運用されていましたが、C62だけは線路規格の問題だったのでしょう、岩見沢で切り離されていました。

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[No.7991] 夢の中へ 投稿者:TADA  2009-05-07(木)  20:37

ニンジャさん
C57135がお召しも牽引した57号などを差し置いてさよなら列車牽引に抜擢されたのは、その年夏に放映されたNHKの番組に登場したからだと言われています。
加藤芳朗と山口百恵、ダ・カーポが出演したのですが、出演者の権利関係からか再放送はされず、編集版がビデオ化されているのみです。
まだ交通博物館にあったころ、「135号は大した経歴もないんだよな」とある方に言ったら「狩勝を越えていた偉大な機関車じゃないか」と怒られました。
最晩年のみ有名になりすぎたということでしょうか。
鉄道省が戦前に作成し、戦後公開された映画「機関車物語」(ビデオタイトル「機関車C57」)には新製直後の135号機がワンカット登場していました。

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[No.7994] 狩勝越え 投稿者:ニンジャ  2009-05-08(金)  06:10

母 方の伯父の一人が根室本線の鹿越という小さな駅の真ん前で、新聞の取次ぎと、農場をやっておりました。
小学校時代夏休みや冬休みなどはよく遊びに行きま した。 鈍行しか停まらない小さな駅ですから、釧路発小樽行きの各駅に乗って行きました。
牽引する機関車は例外なくC57。 その中に例の135号機も いました。
中学に入ると本格的に自分の見た蒸機は全部メモしましたが、小学校時代は自分の乗った列車の牽引機はメモしたものです。 そのメモが宝物でし た。
当時の根室本線上り方面は釧路区のC57と小樽築港区のC57で運用されていました。
釧路を出た列車は池北線(去年でしたか廃線になったふるさと 銀河線でしたっけ、それの国鉄時代の路線で池田と北見を結んでいました)の起点である池田や、広尾線、士幌線の起点の帯広などを経て新得で長い停車をします。
ここで狩勝越えの補機を付けるのと、主務機のC57の水と石炭の補給を行うためです。
どういう訳でそのような補機の構成になっていたのか今となっては知る由もありませんが、時には前補機、時には後補機、場合によっては補機が2両ということもありました。
補機2両の場合の1両は或いは落合への回送 だったのかもしれません。
主務機の汽笛が響き、補機がそれに応えるように汽笛を鳴らすと、列車は新得駅を出ます。
列車はすぐに勾配にかかります。 鉄道防雪林に挟まれたレールの上をゆっくりゆっくり上っていきます。
速度は遅くともドラフトの響きは最大でした。 やがて大カーブが連続する堰堤にかかります。
この時に主務機と補機とが前後で見渡せます。 今思うと本当に長い勾配でした。
短いトンネルを抜ける前後の風景は一生忘れられません。 雄大な 景色は遠く太平洋や、はたまた十勝岳、大雪の山々を眺め、やがて長声と共に狩勝トンネルに突入します。 乗客は急いで窓を閉めます。
それでも窓の隙間か ら煙が入ってきて車内にたちこめます。
長いトンネルを出ると、乗客のほっとした溜息と、それに呼応するように一斉に窓を開けて車内にこもっていた煙を外に出します。 
ブレーキの音が絶え間なく響く下り勾配。やがて落合駅に到着し、補機の切り離しを行います。
そして列車は何事もなかったかのように静かに発車して旅を続けます。
落合を出ますと幾寅(鉄道員の舞台になった駅)、東鹿越そして右に大きくカーブして更に空知川に沿うように左へカーブすると目的の駅鹿越に到着します。
狩勝峠を越える線路は観光路線として残しておいても良かったのではないかと思うことがあります。 因みに鹿越という駅は今はあ りません。金山ダムの底に沈んでしまいました。

滝川からは函館本線になります。小樽以遠の函館行き急行「まりも」は小樽でC62に付け替えられ ていました。
梅小路にいるC622や他のC62が重連で「まりも」「アカシヤ」「大雪」などの急行を牽引しているのを眺めるのは壮観でした。 後に有名 になった「ニセコ」は遥か後の時代の唯一の客車急行でした。 時代は既にディーゼル特急の時代になっていましたから。

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[No.8001] 狩勝展望 投稿者:燕号  2009-05-10(日)  11:26

 こんにちわ、燕号です。
 村樫さんの撮られた8mmに確か、狩勝の峠の車窓展望がある事はあったと思いますよ。
でも、季節は冬なので、雪が舞ってて遠望は利いていませんでした。
 「狩勝」無茶苦茶惹きつけられる言葉でして、「狩勝」と名の付く書籍、ビデオは思わず買ってしまいます。

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[No.8002] サーバーメンテのお知らせと本日のUP 投稿者:TADA  2009-05-10(日)  21:14

燕号さん
村樫さんの作品というと「国鉄時代」の付録DVDでしょうか。
狩勝の映像というと三品さん、黒岩さんのものが有名ですが、近年DVD化されたり、今まで表に出てこなかった映像が発表されたり、これもまた楽しみが増えたのですが、場所とお金が・・・

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[No.8004] 狩勝ビデオ 投稿者:燕号  2009-05-11(月)  00:54

こんばんわ、燕号です。
すみませんビデオ(DVD)は村樫さんでは無く三品さんでした。
三品さんのビデオは「昭和のSL」と言うMOOKで購入した物ですが、国鉄時代の付録DVDと同じだったと思います。
該当の号は狩勝ビデオを除いて余り興味が無く(確か東京地区の電機の特集?)肝心のビデオの内容が同じだと、解説を見て思い購入しませんでした。
R197のカーブを行く本務機と後部補機の2両のD51。
本務機と後部補機の煙が右に左に交差している、この写真は超有名ですが、この時のビデオがあったとは驚きでした。
狩勝と言えば後、臼井さんですね。
絶版となっている交友社「SL」の狩勝紀行がプレスアイゼンバーンより写真集に再録されたので、これも勿論、購入しました。

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ニンジャ 2009-5-21

八高ヤード、読めば読むほど惹きつけられますね。 皆さんお詳しいし、それに何よりも蒸気機関車に対する思い入れが普通じゃないですよね。
小樽のC57のロングランのことについて触れてましたが、富良野での切り離しはなかったと思いますよ。 
と申しますのは、鹿越には年に2,3回
は行っておりましたが、牽引車両は常にC57。 
釧路区のものもあれば
築港区のものもありましたが、C57以外の蒸機は旅客列車には使っていませんでした。
上りの場合、釧路を出ると途中新得で給水と石炭の
補充をしました。 
そしてそのまま小樽行き(或いは函館行き)の運行に
携わりました。
ロングランの場合の石炭の積み込みは新得のみで
十分でした。
狩勝を越えるとあとは殆ど平らな路盤でしたから。 勿論
金山と富良野の間には若干の勾配はありましたが、とりたてて言うほどの勾配ではありませんでした。
これは函館行き急行「まりも」も同様でした。
築港区では釧路籍のC57をしょっちゅう見かけておりましたし、逆に釧路では築港区のそれを常に見てました。 
そんなわけで
小樽−釧路間はC57のみが通しで運用されていたと思います。 混合列車や貨物列車は例外なくD51でした。
 
高校一年の夏に生まれて初めてC62とお目にかかりました。 昭和33年のことです。 
それから毎年数回C62との出会いがありました。 
小樽に
親戚同様の付き合いのあるお宅があります。 南小樽でした。
こちらに
私よりも1歳上の男の子がいましたが、その昭和33年に遊びに行った時、彼が何気なく「燕のマークをつけたC62が走ってるよ。」と私に言ったのを聞き逃さず、すぐに自転車を借りて小樽築港区へと急ぎました。 
すると
いるわいるわ、C62の群れがC55、C57、D51などに混じって煙を吐いています。
許可を得て機関区の中へ足を踏み入れ、捜しましたが、残念ながら
その時はC622はお出かけでした。
機関士の人に伺いましたら、
「ああ、燕のC62な、あれ2号機だ。 今の時間は長万部だべ。」
 
C55の流線型から始まって、築港区は宝の山でした。

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