モノクロームの残影談話室より
C6215・16の動輪交換と
ドロップピット


忠賢八高様主宰のサイト「モノクロームの残影」(現在休止中)談話室に書き込みされた
C6215・16号機の動輪交換とドロップピットに関する記事を編集しました。
この件に関することやお気づきになったことなど掲示板に書き込みいただければ幸いです。

なお、このページは忠賢八高様のご確認いただきまして、TADAが編集
アップロードしました。表示等につきましては、こちらへご連絡ください。


東京駅丸の内地下コンコース動輪広場のC6215動輪 撮影TADA

[No.1925] C62の話 投稿者:会津のけむり  2002-04-18 (木)  02:40

  <URL: http://www.asahi-net.or.jp/~aj4s-ski/>

先日神田の古本屋で71年鉄道ジャーナル別冊「栄光の機関車C62」を1000円で見つけました。(付録のC62ソノシートは無し)

ぺんたさんの板で以前話題になったC6215・16号機の軸重軽減改造の話がその「栄光の機関車C62」に載っておりました。

小樽築港機関区・山下車両検査長談

「C62の15号と16号がウチへきましてね、それで32号と44号が廃車ということになったんですが、軸重を変更するのにうまくいかなくて32号の従台車を16号に、44号の従台車を15号に入れかえてすましました。・・・15号16号のタイヤが薄くてね、32号44号の動輪はタイヤを取り替えてから日が浅いのでもったいないから、機関区で動輪を全部取り替えました。」

ちなみに動輪3対で37万円(70年当時)かかる履き替えを6対で0円にする、廃車発生品との振り替えを当時はあたりまえにやっていたそうです。

面白いのはC622号機の財産台帳の記録です。

59年3673万円だったのが65年には3713万円に評価されています。

普通の蒸気機関車の場合は減価償却されて低くなり200万前後で廃車償却されるるはずの財産台帳上の記録が、C622号機に限りわずかながら高く評価されているのは、スワローマークの価値なのでしょうか??

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[No.1934] レス 投稿者:isobe201  2002-04-19 (金)  00:44

会津のけむり様

「栄光の機関車C62」の報告ありがとうございます。私はこの本をまだ手に入れてませんが、似たような記事は同社の別の出版物にも載っていたと思います。廃車になったカマの動輪・従輪などを今後も使用するカマに譲り渡したという話はほかにも聞いた気がします。しかし忠賢八高様が、ご指摘のように機関区にはクレーンはなかったと思いますし、機関区でどのように動輪の交換作業を行ったのでしょうか?

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[No.1937] ドロップピット線 投稿者:会津のけむり  2002-04-19 (金)  02:10

  <URL: http://www.asahi-net.or.jp/~aj4s-ski/>

isobe201様。

>機関区でどのように動輪の交換作業を行ったのでしょうか?

私は74年に会津若松機関庫でC11の従輪交換を見たことがあります。

簡単に説明すればカマをクレーンで上げるのではなく、ドロップピット線に機関車を入れて従輪だけを下に降ろして外します。

同じような事を、現在も大井川鉄道の金谷機関庫でもやっているようです。

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[No.1940]  投稿者:忠賢八高@管理人  2002-04-19 (金)  14:34

会津のけむり様

 ドロップピットの大井川のものは見たことがるのですが、国鉄時代にはどの程度の所にあったのでしょうか。注意していなかったせいか、存在に気がつきませんでした。どなたかご存知の方いらっしゃいます?。

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[No.1941] ドロップピット線2 投稿者:会津のけむり  2002-04-19 (金)  19:33

  <URL: http://www.asahi-net.or.jp/~aj4s-ski/>

管理人様。

会津区の場合は1.2番線がドロップピット線でした。

>国鉄時代にはどの程度の所にあったのでしょうか。

どうなんでしょうか?

同程度の機関庫には必ずあったと思うのですが・・・

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[No.1945]  投稿者:忠賢八高@管理人  2002-04-20 (土)  00:41

会津のけむり様

 若松にはドロップピットが2本もあったんですか!。そうすると他の区でも結構存在していたことにもなりますね。そうすると梅小路にも?。

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[No.1946] ドロップピット線3 投稿者:isobe201  2002-04-20 (土)  01:34

会津のけむり様

矢継ぎ早の質問で恐縮ですが、1750mmの動輪もドロップピットで交換できたのでしょうか?単純計算で最低875mmは下に落とし込まないと着脱できないと思いますが…。実際に見たことが無いので、ヘンな質問かもしれません、すいません。いまも、会津若松のは健在なのでしょうか?

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[No.1949] ドロップピット線4 投稿者:会津のけむり  2002-04-20 (土)  19:58

  <URL: http://www.asahi-net.or.jp/~aj4s-ski/>

isobe201様。

>1750mmの動輪もドロップピットで交換できたのでしょうか?

私は会津機関庫のドロップピット線で動輪を交換するシーンは見たことはありませんが、2メートルぐらいの幅で1メートル以上の深さがあったと思います。1/2番線は地下でH形に繋がっておりました。 

>いまも、会津若松のは健在なのでしょうか?

現在はどうなっているのでしょうか??

昔と同じ「ドロップピット線」と書かれた看板はかかっていますが・・・

昨年の夏(3重連の帰り)大井川の機関庫に見学に行った時にC11312号の動輪をはずしておりました。

大井川には1750ミリの動輪を持った機関車はいないし、どうなんでしょうか??

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[No.1950] ドロップピット線5 投稿者:会津のけむり  2002-04-20 (土)  20:11

  <URL: http://www.asahi-net.or.jp/~aj4s-ski/>

isobe201様。

会津機関庫の昔の写真に、ドロップさせる油圧ジャッキの写真がありました。

http://www.asahi-net.or.jp/~aj4s-ski/aizu15/newpage1.htm

の2枚目の写真です。

中央の柱の左にあるのがジャッキの右の部分だと思います。

機関車の左にも同じようなジャッキの支柱があり線路ごと落とし込めるようになっていたと思います。

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[No.1951] ドロップピット線6 投稿者:isobe201  2002-04-21 (日)  01:20

会津のけむり様

ご丁寧な解説有難うございます。油圧ジャッキがついていて、1メートルほどのクリアランスがあれば、動輪でも交換できたでしょうね。忠賢八高様がご指摘のように、工場での廃車〜解体処分の場合だと、車輪の交換は大変手間がかかるかもしれませんが、解体処分の前に機関区で車輪を交換してしまえば、工場には全く関係なく交換できたのでしょうね。

ただ、所属機関区が違うカマの車輪を交換したのは、やはり工場ではないかと思いますので、工場にもドロップピット線があって、解体処分の前に、使えそうな部品を移植したこともあったのではないかな、という気もします。

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[No.1952] C62動輪交換の話 投稿者:田駄雄作  2002-04-21 (日)  11:43

  <URL: http://tadayusaku.2.hotspace.jp/>

お話が進んでますが、当時築港機関区に取材したものとして疑問と推察と関連した話を。

C6215、16が糸崎から転属してきてから改造されるまでの間、築港機関区に居たことがあるかどうか。と言うことです。確か最初から苗穂工場に取り込まれて改造まで移動はしなかったような記憶があります。

特に16号機はすぐに改造にかかり、一ヶ月後の11月の中旬には出場していますので機関区でそのような余裕は無かったと思うのです。

突貫工事でなおかつ慣れない軸重軽減工事や北海道仕様への改造ということもあって、代替え廃車になるC6232から多くの部品が流用されたことは想像に難くありません。事実テンダ(重油タンク装備)そのものや従台車は32のものと言われてましたから、動輪もそうであっても全く不思議ではありません。その詳細は書類上のいろいろな問題などで公表はされていなかったのではないかとも思います。

昭和45年11月の末にC6216の取材で築港機関区を訪れましたが、C6215は苗穂工場の方にあるということで現車は確認できませんでした。タネ車のC6244はまだしっかり現役でした。15が改造されたのは昭和46年になってからです。

これに関連して気が付いたことがあります。東京駅地下にある動輪の広場のC62動輪です。設置された当初はプレートはC6215のものだが、モニュメントの動輪はC6244のものとの話があり、実際にこの目で刻印を確認したような記憶があります。先日某サイトで見たら動輪もC6215のものとの記述で疑問に思い、東京駅に確認に行ったところ柵があり近くには寄れなくなっていました。遠目で見た限りでは表も裏も刻印の類は一切確認できませんでした。また展示説明でもC6215の動輪とはっきり謳っていました。

この事も、C6215とC6244の間で動輪流用がなされていたならば全て納得の行くところではないでしょうか。あの動輪はC6244から流用された間違いなくC6215の動輪であったわけです。流用が知られていなかったために、ややこしいことになってしまった訳ですね。

おそらく交換した機関区というのは、苗穂工場のことだったのではと思

います。最近サイト上で出た二つの問題がこう結びつくとは思いませんでした。

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[No.1956] C62の動輪の話 投稿者:会津のけむり  2002-04-22 (月)  02:06

  <URL: http://www.asahi-net.or.jp/~aj4s-ski/>

田駄雄作様。

C6215・16号機の貴重な話、ありがとうございました。

NO1925

>・・・15号16号のタイヤが薄くてね

・・・の部分に大切な日時が含まれておりましたが、長文になりそうなので勝手に略してしまいました。

小樽築港機関区・山下車両検査長談

今年(昭和46年)の4月〜5月に15号と16号が中検Aに入った時、小樽築港機関区で動輪を全部取り替えました。

の一文が抜けておりました。m(__)m

当時の小樽築港機関区で中検A(年に一度の中規模な検査)ができたようですね。

会津区では、月の交番検査/洗缶以上の中検A/中検B/全検はすべて郡山工でやっておりました。

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[No.1957]  投稿者:忠賢八高@管理人  2002-04-22 (月)  13:05

isobe201様

  動輪の交換はどの程度やられていたのでしょうね。情報が少ないとこですから真相があまり伝わってきませんね。

会津のけむり様

 ドロップピットの写真拝見いたしました。H型に溝が掘られていたのは交換をスムーズにするためということですね。あのジャッキがあるとこには全てピットがあったんでしょうか。あれならば結構ありましたよね。

田駄様

 C6232,44から15、16への移行時期、我が家のご老公も確か渡道しており、確か写真に収めております。はて何が写ってかな?C622とB201の並びの写真は覚えてるんですがC6215が写っていたような・・・・。確かめておきます。

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