土佐電鉄 1979・3
その2 はりまや橋〜菜園場町

電車が十文字にクロスするはりまや橋から東方へ、菜園場町電停との中間にある歩道橋から後免線を撮影。
撮影日 1979年3月7日


後免線はりまや橋〜菜園場町の歩道橋より後免方向を望む。
朝倉行の行き先板を付けた220がやってきた。


行き先板が付くのは進行方向のみ。


山陽電鉄からやってきた701。




「ごめん」の行き先板を出した212(?)。


広告電車620。


こちらも広告電車の619(?)


元山陽電鉄の804。


当時単線の残る伊野線の朝ラッシュ時に600形の連結運転が行われていた。
630+631


631は600形のラストナンバー。


歩道橋を降りてはりまや橋交差点に戻るところで運良く1形式1両の501がやってきた。


500形は1954年製造の土電版PCCとして知られる車両。
車体は当時製造されていた200形と同じながら直角カルダン、新型台車、弾性車輪、間接制御の高性能車だった。
その後1960年に駆動方式など200形と同一に改造されたが、台車はそのままで500形の特徴となっていた。


当初このページを作成した折り、場所をはりまや橋〜堀詰と記載しておりましたが、
掲示板に平みちのり様より訂正のご教示をいただきました。

「「堀詰〜はりまや橋間の歩道橋から撮影…」とありますが、あの歩道橋は播磨屋橋〜菜園場町間の歩道橋です。
左側に建設中のビルがありますが、これは四国銀行木屋橋支店の入るビルです。
電車が渡っているのが木屋橋です。分かり難いでしょうが欄干が写っていますね。
この辺りは通称・四ツ橋と言い、戦前から戦後にかけては運河が十文字に交差し、
その間に四つの橋が架かっていたそうです。
元PCC車の501が走っているのは土佐橋のSカーブになります。
ここは播磨屋橋から一つ東側にある上り方のみに設けられた「西武百貨店前」電停を出てすぐにある「水無し」の橋です。
かつては堀川という運河があり、明治時代に後免線が建設される際に
土佐電鉄が架橋資金を提供したことからその名が付いたそうです。

なお、手前味噌ながら小生ら地元愛好家の集まりで出版しました
JTBキャンブック「土佐電鉄の走る街今昔」の71ページに小生による同場所の説明が掲載されています。
以上ご参考までに。長々と失礼いたしました。」


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