1978・8 南への旅

端っこというものがあるとそこに行ってみたくなるものだ。
日本最南端の駅、本土最南端の岬を目指し学生の特権、夏休みを利用して
途中で各地の電車など見ながら南へと向かう旅をした。



1日目 8月8日
名古屋 8:06 201〜711D「平安」
京都  10:43
大阪  20:44 205レ「くにさき」     

1978年当時、新幹線博多開業後に残された関西から九州に向かう3本の夜行急行があった。
長崎・佐世保行きの「雲仙・西海」熊本行きの「阿蘇」大分行きの「くにさき」。
いずれも14系座席車を使った当時の急行ではグレードの高いものだった。
北九州での時間の関係から、一番遅い「くにさき」を利用することにした。
名古屋から関西に向かうのに東海道線経由では面白くないと、関西本線・草津線経由の「平安」を選んだ。
名古屋駅で入線を待っていると向かいのホームに「しなの1号」が入線してきた。


名古屋 1002M しなの1号

京都では廃止の迫った市電を烏丸車庫から五条坂まで撮影。
夕方大阪に移動して「くにさき」に乗車したのだがここらへんの記憶は全くない。

2日目 8月9日
門司   6:41
門司港 21:39 101レ「かいもん4号 


早朝の下関、205レ「くにさき」の先頭にたったEF3021


関門の番人、EF30重連の貨物列車。

「くにさき」を門司で降り、北九州市内線を撮影する。
門司駅前から小倉魚町、北方線筑豊電鉄と撮り歩き
午後から黒崎から鹿児島本線で次の目的地、福岡市内線に向かった。
この日の宿は夜行の「かいもん4号」、始発駅の門司港から乗車したのだが、
博多から門司港までどうやって戻ったかこれまた記憶にない。
市内線折尾のスナップがあるので折尾から門司港まで延々と市内線に乗っていたのかもしれない


黒崎 421系


黒崎 ED73

3日目 8月10日
伊集院  5:58
      12:17 8423D
西鹿児島12:40
      乗車列車不明
指宿

2晩連続の夜行列車を伊集院で降り、鹿児島交通南薩線へ。
戻りは南薩線から国鉄直通の列車で西鹿児島へ。
鹿児島市電を撮影後、指宿枕崎線で指宿へ。
指宿のYHに泊まったが何時ころ到着したのか、例によって記憶にない。


西鹿児島 ヒゲなし、赤スカートのクハ481の1005M「有明2号」
右側に見えるのが鹿児島交通から直通の8423D


西鹿児島 コンテナ列車の引くED76 1000

    4日目 8月11日
指宿   8:00 727D
山川   8:06
山川港 9:30 錦江湾フェリー
根占港 10:10
     10:20 鹿児島交通バス
大泊  11:24
     11:27 鹿児島交通バス
佐多岬 11:52
     13:25 鹿児島交通バス
大泊  13:45
     13:48 鹿児島交通バス
根占港 14:52
     15:00 錦江湾フェリー
山川港 15:40
山川  17:16 743D
枕崎  18:26
    

4日目にして旅の目的地、佐多岬へとコマを進めた。
佐多岬まで行くバスが4往復のみ、錦江湾を渡るフェリーは山川〜佐多という便もあったが、
岬行きのバスと全く時間が合わず、大隈半島をバスで南下するコースになった。
山川駅とフェリー乗り場は山川湾の対岸で2kmほど離れていた。
朝は山川湾にそってぐるりと回る道を歩いたが、帰りはフェリーに接続するバスに乗ったかもしれない。
旅の主旨からいえば「日本最南端の駅」西大山を訪ねるべきなのだが、指宿〜枕崎間の列車本数の少なさゆえ、西大山は車窓から見るだけとなった。

この文章は交通公社1978年8月号時刻表を見ながら書いているが、フェリーに接続する山川港15:43 開聞山麓行きというバスがある。
このバスは西大山のひとつ手前、大山駅のそばを通るようで、そこから西大山までは2.5kn、列車の時間までは1時間以上あり余裕で間に合いそうだが、なぜこのバスを利用しなかったのか?
気がつかなかったのか、あるいは連日の暑さで午後になると気力が落ちていたのか・・
あるいは指宿のYHに荷物を置いたままにして取りに戻ったのかもしれない。


「駅舎のある駅」では日本最南端の駅 山川。
フェリー乗り場はバックに見える湾の対岸あたり。


佐多岬の遊歩道は突端の200mほど手前で終わっている。
灯台が立つのは岬の先に浮かぶ大輪島。


ここからは北へ向かう旅。それにしてもこのころは痩せていたものだ。


山川と枕崎の入場券。枕崎は鹿児島交通の管理駅だった。

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