Back to the 1972

鉄道100年記念列車
C577と僚機たち
その3


C57148  69.3.28. 亀山機関区
検査後なのか、重油併燃機独特の「爆煙」を吐きながら待機中のC57148号機。
亀山区のC57は、この当時、紀勢・参宮線にまだ多くの運用を持っていた。
同機は長く奈良に所属し、急行「大和」牽引の加太越えに活躍したC57だが、
奈良から亀山へ移った僚機の中でも、集煙装置の装備されていない元御召機の145号や、
連番に近い146号に比べて、注目されることの少ない存在だった。


C57148  72.10.3  亀山駅
7号機が横浜へ向かう72年10月、亀山区のC57は110、198の2輌で
紀勢・参宮線で1往復の旅客列車を担当することになった。
余剰となった148号機は、当初予定された横浜へ向かうことなく、
こうして亀山駅の側線に、ナンバーをはずした哀れな姿で留置された。
横浜へ向かったところで、大宮での解体が予定されていた同機である。
運命は定まったかと思われたが、大阪の共永興業に保存され、
30年にわたる屋内保存で、現在、最も状態の良好な静態保存機の1輌となっているのは、
興趣の尽きない運命の変遷だ。いつか、何かがあれば、もしかして・・・。
ちなみに、右に見えるには、一時は小山での動態保存が計画されたC50154号機である。

最後にC571関連を少々
佐倉機関区で配布された「機関区見学の注意」です。
山田様ご提供、スキャンしもやま様、原紙はワラ半紙ガリ版刷りです。




総武本線での本運転前日の試運転時、
千葉気動車区転車台で折り返しのための方向転換をするC571

画像・解説 山田様


C571  76.1. 梅小路蒸気機関車館
佐倉での運転のあと、梅小路入りしたC571号機だが、本線に出ることは予想に反して少なく、
山口線での通年運転がスタートする前は、あの悲劇を生んだ「京阪100年号」のみとなった。
この写真は、その半年前、76年の正月に、梅小路の装備品で御召装備したC571の晴れ姿だ。
長い煙突が凛々しいが、3年後、同機は集煙装置を身にまとい、山口線に向かうことになる。
それにせよ、阪神大震災被災などを乗り越え、いまも元気に走り続けているのは、素晴らしい。
画像、解説 品川530様

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